ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
では、稲がつくれないため、畑地や平地林となっていたところがたくさんあったことによるものと思われる。同じ年の長野県における桃栽培の本数と生産量をみると(表1 参照)、北佐久郡が本数と生産量ともずばぬけて多く、佐久地方と気候や土質が似ている東筑摩郡に多いが、芳川村のほかは在来種が多く、品質の良い洋桃の導入は進んでいないことがわかる。(『信濃産業誌』)佐久における明治時代の産業の発展をみると、養蚕業と製糸・薬用人参の栽培、馬産の改良などが上げられるが、その中でも製糸業の高橋平四郎、牧場経営神津邦太郎とともに、果樹における塩川伊一郎父子の果たした役割が大きかったことは、これらの数字からもよみとることができる。