ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
桃栽培の技術を高め、品質の良い桃を生産するためにヽ各村に組合ができたことは前述の通りであるが、桃の販売についても組合が設立され、小沼・高瀬ヽ瀬戸など一〇組合から四八人の委員が集って「販売組合設立の件」について議決をしている。内容についての記録は見えないが、缶詰工場の安定した原料の確保と農家収入の安定を願ってのことと考えられる。第1表長野県におけるモモ栽培本数と生産量明治四十一年の北佐久郡における桃栽培の広がりをみると(図3参照) 気候の寒い東長倉村・西長倉村(ともに現軽井沢町)のほか、西の芦田村(現立科町)、中央部では中津村(現浅科村)と高瀬村(現佐久市)のほか全町村にわたっている。三岡村とすぐ東隣りの南大井村が特に多いが、これは浅間山から流れ下る小河川が深い田切地形をつくり、水が谷底を流れ、御影用水が利用できない土地