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概要

塩川伊一郎評伝

病害虫は、一つの桃園で発生すると次々と広がるために、みんなで協力しないと効果が上がらない。そこで「果樹害虫駆除予防組合」をつくって全員で立ち向かうことにした。その前文には「果樹栽培上最も恐ルベキハ害虫ニシテ之ヲ駆除シ撲滅セシムルニハ共同一致シ出ツルノ外ナキヲ確認シ、茲ニ一三岡村果樹栽培者一同以下ノ遂条ノ履行ヲ規約ス」とうたっている。その規約を要約すると、一三岡村栽培者全員と隣村にも加入をすすめる。二趣旨に反した時は徳義上の制裁を与え説諭をする。三毎年、春秋に定った方法で駆除し、必要の時はその間にも行なう。四組合長兼実査長、副組合長兼実査副長、実査委員一○ 名をおく。五駆除の期日と方法を定め五日以前に通知して行なう。六委員は果樹園を巡視し、不充分の者には再駆除を通告する。七通告を受けた者は異議の申し立てをすることができない。八通告をうけて再駆除しない時は強除し、弁償をさせる。とかなりきびしいきまりであった。明治末期のボルドー液の散布と焼却ぐらいしか防除の方法がなかった時代だけに、炭疽病の伝播を防ぐために、一三岡村を中心に近隣村まで含めた共同防除を行なったことは、佐久の果樹史上特筆すべき活動とみなければならない。