ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
した。大正三年、兵庫県鳴尾村(現西宮市鳴尾― 甲子園野球場の近く) の農家に依託してイチゴ栽培を行なった。この地方では明治一三十二年頃より海岸の砂畑でイチゴが栽培されており、気候が暖かいので信州よりずっと早く実が赤くなり味も品質も良かった。はじめはイチゴ狩りのあとの残りを使っていたが、それだけでは間に合わなくなり、農家に栽培してもらうようになった。収穫期には、森山の婦人たちばかりでなく、新潟の娘さんたちもやとって鳴尾へ向かった。古結丑之助の建物を借りて工場とし、信州から運んでいった道具を使って煮沸した。ボイルは石油缶につめて信州へ送り、森山の工場で小さな缶に詰めて製品にしたのである。六月までは鳴尾のイチゴを使い、七月に入ると森山産のイチゴで、それが終ると桃の缶詰製造へと、工場や職人を有効に使って、経営の合理化に努めていたのである。石油缶に入れたままハンダづけして信州に送られたボイルは、工場の忙しい時は倉庫に保管しておいて、仕事のなくなった冬に小さい缶につめる仕事へまわされたこともあった。