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概要

塩川伊一郎評伝

集めて摘みとってもらった。子どもたちの方が指がほそくてきれいに取れた。工賃は一箱一銭と決められていたが、一日に五箱から八箱の者が多く、報酬は会社で作った一銭ヽ五銭の金札で与えられた。その金札は村中の駄菓子屋などで立派に通用したので、子どもたちはよろこんで集ってきた。写真のように、着物姿で草履をはいた子どもたちが、イチゴの箱を前に働いている姿がみられる。いまのアルバイトのはじまりを思わせる風景である。ヘタを取ったイチゴはザルに入れて清水に浸し、きれいに洗って水滴を切ると、一貫五○ ○ 匁を一回分とし、これに同じ量のザラメを混ぜて、深さ七寸、直径二尺五寸の鍋に入れて火を加えて煮沸する。この間休むことなく大きな木さじで静かに攪拌して平均に煮沸することが大切である。こげつく前に別の器に上げながら、その間も攪拌しつづける。新しいイチゴと砂糖を入れながら、間髪を入れずに鍋をあかさないで煮つけるのがむずかしい。このア・ウンの呼吸と水を一滴も使わないことが上等のジャムをつくるコツであった。できあがったジャムは、桃の缶詰の機械を使って桃缶と同じ方法で製品に仕上げていった。明治四十一年の製造額は四千ダース、四万八千個で、八千八○ ○ 円の収入を上げ、原料のイチゴ四千八○ ○ 貫、砂糖のほか缶代、労賃などの支出が七千六八〇円であったから、八七二円の利益を上げている。イチゴジャムづくりをもっと早くすることができないものか。伊一郎は台湾の帰りに神戸から大阪へ汽車に乗った時、二月下旬だというのに梅の花や椿がいたる所に咲いていたことに驚いたことを思い出