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概要

塩川伊一郎評伝

村の子どもたちが莓のカクをつんた曳天止初の唄円五〇銭となり、農家の人々は稲をつくるよりはるかに多い収入を得ることになった。伊一郎にとっても、一年目はとれないが、二年目からは一反歩一八○ 貫二貰目三○ 銭) として、五四円分のイチゴが収穫されるので、苗代や肥料代それに摘みとり代を支払っても、一か年で七円二五銭の利益となった。このようにして原料のイチゴを確保することができて、缶詰工場では桃缶の製造前にイチゴジャムの製造を行なうことができるようになったのである。当時のジャムづくりは伊一郎の記録によると次のようである。ジャムをつくるには、熟したイチゴを採集して工場へ持ちこまれたものを、つるとヘタを摘みとることからはじまる。実はこの作業は案外手間がかかった。そこで人件費節約のために、村の子どもたちを