ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
苺をつむ娘さんたち後ろは浅間山(明治末頃)しながら栽培を続けた。伊一郎はイチゴの栽培面積を増やすために、農家の人々に栽培をすすめて作ってもらうという方法をとった。明治の末頃は今のように肥料もあまりなく、たびたび冷害におそわれたので、米は不足がちであり、田んぼへ稲以外の作物をつくることなど考えられない時代だった。その上、新しい作物で失敗したらたいへんだという心配が先にたって、イチゴをすぐに作ろうとする人はいなかった。そこで、伊一郎は、作ってくれる田んぼから今まで収穫できた米の量を計算して、その分だけはお金を払う約束をして、苗や肥料まで用意して作ってもらった。耕したり植えるなどの手入れと草とりなどの保護をしてもらった後、摘みとりの労賃も別に支払った上で、イチゴを納めてもらう方法をとった。一反歩あたりでは、農家には一一三円五○ 銭の米代と二年目からは摘み取り代六円が加わるので、一九