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概要

塩川伊一郎評伝

四イチゴジャムの製造桃の缶詰製造は、夏の一時期に集中して短期のうちに終ってしまう。このことは、多くの資金を使ってつくった工場の設備を遊ばせ、働いている人を遊ばせなければならなかった。そこでなるべく製造期間を長くすることによって、工場の稼働率をよくしていかなければならなかった。このことは桃の缶詰をはじめた時からの問題で桃のほかに、適当な原料をさがしていたが、伊一郎父子はイチゴの栽培とジャムの製造を考えた。ここで伊一郎とイチゴとの関係をみておこう。ジャム業界の沿革によれば、伊一郎が明治二十年にイチゴジャムを製造したと書かれているが(第二部四参照)、イチゴジャムは早くからその製法が知られていた。イチゴは、土質や天候を選ばない作物といわれていたが、三岡は排水が良く、春先は乾燥する日があるので、最初の二粒はやや大粒でよいが、そのあとにつく実は小粒になることはまぬがれることができなかった。そのために一反歩に二○ 貫匁から多くて三〇貫の収穫でヽ高い収益が上がる作物といえるものではなかった。水田を使ったために水は充分に補給できたが、味に酸味が多いという欠点があった。イチゴにはたくさんの種類があるが、果粒の大小、色の紅いもの淡い黄色味のもの、実のしまり、あ