ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
日に三○ 貫目にもなり、五倍の作業能率を上げることができた。核抜器の方も同じように能率を上げ、女工一人で一日に一二五本分ぐらいの核を抜きとる能力を持つようになった。この発明によって桃缶製造の能率は上がり、人件費の節約という大きなメリットを得ることになり、缶詰製造の一大発展をみることになるのである。明治四十一年の製造高は八千ダ― スで、一ダース一円二五銭平均で販売できたので、租収入は約一万円となった。原料の洋桃一万六千貫、砂糖一千九二○ 貫をはじめ、缶代から金利・償却金など支出の九千一七四円を差引くと、八二六円の利益が上がった。調理用具と工場規模調理用器具として、万力(大小) 二台木製ハンダ流型など桃割庖丁五核抜器六〓皮器八○ジャム鍋一三桃煮大釜一缶詰用器具回転封蝋付器五殺菌用蒸竈二組殺菌用蒸箱二組殺菌用蒸缶二四ホーメー比重計一などが主なもので、費用は九一二円二一銭であった。当時の工場はそんなに大きなものではなかった。主なものをみると、