ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
之畢世の力とも言ふべし、今や余ハ君と幽明境を異にす、可歎なり三月八日(木) 朝塩川伊一郎葬式ニ森山村へ至ル坐上小演説ヲ為ス熊二日記の中で、一個人についてこんなにくわしく書かれていることは少なく、熊二にとって伊一郎はいかに印象が強かった人物の一人であったかということができよう。熊二は「余ト同盟して、森山村へ桃を栽培せし人なり、今日之盛況を看るを得たるハ、同君之畢世(一生涯) の力とも言ふべし」と、桃栽培が伊一郎の一生の大業であったと書いている。そして「可歎なり」と心からなげいている。特に「坐上小演説ヲ為ス」とあるのは、葬儀の席か灰寄せの席で、追悼の話をしたのであろう。木村熊ニの伊一郎に対する別れの言葉がのべられたのである。前項「森山村桃栽培の経緯について」の文章に、この時の気持ちがよくあらわれているように思われてならない。この月の終りには小諸義塾は閉じられ、熊二が長野へ去る直前のことで、いくつもの別れが目の前に迫っていたことを思うと、胸にこみ上げてくるものがあったにちがいない。