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概要

塩川伊一郎評伝

ふるいおこしてとび込んだのが、小山徳三郎商店であった。事情を話すと、徳三郎は、「それは気の毒だ」と同情を寄せ、快く引きうけてくれた。砂糖七俵を借り入れ、缶詰ができたら必ず持ってくることを誓い、ようやく缶詰の製造に着手することができた。砂糖の仕入れで味わった困難は、かえって勝太の心をふるいたたせることになった。それからは今までより一段と事業に熱中し、缶詰を作っては小山商店に送り、かわりに砂糖を借りるという方法で根気よく桃缶とイチゴジャム缶をつくっては小山商店へ運んだ。缶詰は小山商店によって各地に売り拡められた。製品の評判が高まるにつれ、経営は安定し、伊一郎らは危機を脱することができた。初代伊一郎の墓戒名は「創栽桃仙居士」しかし、いよいよ事業が軌道にのろうとしたその年、初代伊一郎は不幸にして病魔に犯され、遂に帰らぬ人となった。『木村熊二日記』には、伊一郎の死についてくわしく記されている。明治三十九年三月七日(水) 塩川伊一郎氏之凶訃に接す、万感如レ湧塩川伊一郎君ハ余ト同盟して、森山村へ桃を栽培せし人なり、今日之盛況を看るを得たるハ、同君