ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
一桃は実ったが「桃は三年で実をつける」とは古くから言われていることであるが、伊一郎たちが丹精こめて栽培した桃の木は美しい実をつけた。この桃をどこで売れば高く売れるだろうか。「そうだ〃軽井沢には外国人の別荘があって、アメリカ人やイギリス人が来ている」若い勝太は桃が傷つかないようにもみがらを箱につめて軽井沢へ向かった。軽井沢宿の八百屋では良いものは三銭、そのほかは二銭で売れた。走るように帰った息子の手ににぎられた金をみて、伊一郎の顔はほころんだ。長年苦労して育てた桃が、やっと収入までこぎつけたのであった。夏の日ざしが強くなると、桃は赤味をましおいしくなった。しかし、軽井沢へ持っていってもたくさんは売れなかった。それもそのはず、明治三十三年の別荘数は五一軒、外人用のホテルは万平ホテル一軒だけであった。その上、避暑客の中には宣教師が多く、経済的にはそんなに裕福とは言えなかった。それではどこへ売ったらいいのか、信州で一番大きな町は長野市であった。県庁や善光寺があって、にぎやかな町なので買ってもらえるかも知れないと考えた。桃の箱を持って長野に着いたが、一個二銭、三銭という桃を買ってくれる人はあまりいなかった。それに桃のおいしさを知っている人はなく、八百