ブックタイトル塩川伊一郎評伝
- ページ
- 67/332
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている67ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている67ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
塩川伊一郎評伝
三大島紬の失敗に目がさめて有名な「大島紬」は真綿を原料として糸をつむぎ、その糸を染め、機織りして製造する。僅か一○ ○匁(三七五グラム)か一二○ 匁の真綿から最高一〇円の紬ができることを目のあたりにした勝太は、信州にたくさん生産されている真綿を原料として、農家の婦人たちに織らせたら、利益が上るだろうと考えた。その手はじめとして、原料の真綿を売り込みながら、紬の織り方を調査しようとした。彼は台湾から帰ると、信州の真綿を仕入れ、大島まで持っていくことにした。集めた真綿をきつくしめて荷作りすると、重さの割合には大きな荷物になる。第二回の大島行きは明治三十二年四月七日に出発、主に海路をとった。それは宿泊料を倹約するためである。好小諸発東京三泊)天津丸三泊) 神戸(一泊)金沢丸(五泊) 大島三四泊)脯大島発萬国丸(五泊)大阪(三泊)ー⊥ 暴ー吉市鉦川妻家着大島へ真綿を持ちこんだものの、島の人々はどの家も貧乏で、現金で真綿を買える人などいなかった。