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概要

塩川伊一郎評伝

やまされ、足の痛さにたえられなくなって書けなかったのか。あるいは、上田の阿部家についてから、墨で書いたものとも考えられる。上田に着いた時の勝太は、衣類はぽろぽろ、かみの毛やひげはぼうぼうと生え、切れた草履を引きずり、見るもすさまじい姿であったという話が塩川家に伝っている。上田の阿部氏は塩川家とは以前から交際のあった家で、勝太はそのお宅で食事を受け体を休めてもらったのち、衣服をととのえ阿部家の主人につきそわれて三岡へ帰った。察するに、大きな希望を抱き、意気込んで出発したにもかかわらず、あまりにもみすぼらしい結果に終ったために、父に謝るために阿部氏の同行を願ったのであろう。漢語調で読点がなく、片仮名まじりの文で所々読みとれない文字もあるが、何回も読んでいくうちに若い勝太の人間性と探究心がにじみ出ていて大変面白い旅行記である。。台湾での有利な事業をあきらめた勝太は、帰路に立ち寄った琉球と奄美大島で見た「大島紬」の事業化を考えついた。原料である真綿は信州でたくさん生産されている品であったし、製品になると高い値で売れることを見た。その原料は江州産(今の滋賀県) であったことから、米原へ立ち寄って確かめようとしたのである。そのためか旅行記全体に物の値段が細かく書かれている。このことからも事業を起こそうとする勝太の意欲的な姿勢をうかがうことができる。ただ船賃がいくらであったかは一度も出てこないことが不思議で、信州の真綿をはるばる大島まで運び、織った紬をまた運んでくる輸送費をどう考えていたのか疑問が残る。勝太には、船や汽車から見える景色の中で、また大阪市内や歩いている途中で、どんなことにも興昧