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概要

塩川伊一郎評伝

三月五日天気うす暗いうちに起き出した。道路も屋根も霜に凍り、寒気が胃までとおる。焚火を盛んにしてさめきった体を暖めながら見ると、羽織は下の方が黒く焼けて着ることもできない。昨夜のあまったかゆと汁をすい、風に身を吹かせながら行路についた。霜柱は、す足にくだかれてサクリサクリと音をたて凍痛がひどい。足袋もなく草履も破れたからである。天に白くそびえる駒ケ嶽は朝日を受けて水晶山のように立ち、麓は暗く、木曽川はとうとうと流れ、景色の美しさは言葉では表せない。(ここから墨の字になる。)御岳山を拝む。福島で朝食兼昼食をとった。みそ汁のうまかったこと。木曽川からはなれ、旭将軍(木曽義仲) の城跡を見る。足の痛みは強くなり、道路は雪解けのためにぬかり、草履は切れたが、銭がないので買うこともできない。その上足に豆ができて痛さは言葉では言えないほどになった。薮原は櫛の産地なので、櫛の店が路のかたわらに多い。声をかけて客を引いている。鳥居峠を越え、新道を回ってけわしい山を越えてようやく頂上に達した。奈良本に泊った。笠商人と同部屋だった。三月六日晴出雲の少年と同行した。彼はお寺や金持ちの家からお金をもらいながら旅をしているという。道は平坦になり松本を過ぎて保福寺の前村で一泊した。三月七日上田で盆(口絵写真参照) をあずけ、金を借りて阿部さんの家に泊った。(ここで日記は終っている。)日記は鉛筆から墨に変ってから簡単になった。これは途中で鉛筆―がなくなったのか、空腹や寒さにな