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概要

塩川伊一郎評伝

水がとうとうと流れている。雪の少ない佐久との風土の大きなちがいに勝太は驚いた。関が原あたりでは寒梅が咲き、天下分け目の戦に東西の大軍が旗をなびかせた壮観さを想像しながら、大垣に着いた。ここも昨日の大雨のために水が出て田畑にあふれていた。しかし土地が平らなためか水の流れは弱く、濁流は山の上から粘土質の土壌を流している。土地を肥やしている原因がこのあたりにあることを勝太は感じとっていた。岐阜は米原よりとても暖かく、桜の花が咲き、麦も大きく成長していた。新加納をへて山間に入ると、女子は織物をする人が多いと聞いた。鵜沼は一面平坦であったが、地味はあまり良くないように思えた。御料林があって鹿がたくさんいるとみえて、問屋の前に二○ 頭程が売られていた。この辺は小さな山が続き松林が多かった。木曽川の激流は満々と流れ、奇岩怪松のながめはすばらしかった。しかし、出水のために大田の渡しは船が出せないとのことで、止むを得ず兼山を回った。兼山は豪商が多く風景が良い町であった。午後八時ころ、御岳講の人々が泊る宿に泊った。三月四日夜中は雨があったが、朝は天気になった。午前六時三十分に宿を出たが外は寒い。昨夜の雨が山の上の方では雪となり、路は雨のあとのぬかるみであったが、梅が寒さの中でも花をつけていた。馬籠の駅を越え、急な坂の上から下をのぞむと山々が起伏して美しく、登り坂の苦労を忘れさせてくれた。妻籠を越えると木曽山道である。馬越峠は登り下り二回とも急坂であった。東の方を望むと御岳山が天高くそびえ、雪の白い鎧を着たように見えた。明後日は、はるかに見える御岳の麓を過ぎるのか