ブックタイトル塩川伊一郎評伝
- ページ
- 61/332
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている61ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている61ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
塩川伊一郎評伝
やっと目ざす土地にきたのだから、しばらく滞在しようとしたが思うにまかせず、路頭に迷う身となってしまった。その上、雨が降り出し雨具もなくびしょぬれになってしまった。これからは野宿をし、山をこえて一○ ○ 里の道を歩いて行こうと決心した勝太は、畳表の雨具を買い求め、切れた下駄を捨てて二〇町ほど歩いたが、聞いてみると彦根街道であった。自分の帰る中山道は反対の方向だという。勝太は進退極まってしまった。すでに午後五時を過ぎていた。失敗とおそろしさが勝太の心をゆさぶった。この―雨ではどうすることもできない。仕方なく木賃宿を見つけてとまることにした。客は一○ 人ほどで、靴の修理人や巡礼などでアラメのような衣服の者ばかりだった。飯五合を炊いて宿料一一銭五厘であったが、布団のきたないのには閉口した。三月一日も雨だった。あわせの着物とももひき、筒袖など四品を一円三十銭で売った。こんな逆境の中にあっても、真綿の製造所や湖からとれる鮒やどじょうの価格をはじめ、彦根や琵琶湖の風景の美しさや岸辺の様子を観察する努力はおこたらなかった。琵琶湖の水位と同じくらいの土地に水田をつくり、水のひかない土地では、半分の土地を畔のようにシヨベルのような道具で土を盛り上げてその上に油菜や野菜を作っているのを驚きをもって見た。その夜もきたない布団とノミに悩まされてよく眠れなかった。同宿の者もかゆいので、裸になって火鉢のまわりでボリボリと音をたててかいている。彼自身も百日も着たままのシャツは、汗のにおいでくさく体もよごれきっていた。まさにおちぶれることその極みに達し、何のために台湾へ行ったのか… … 。一三月二日勝太は汽車に乗って岐阜に向かった。車窓より見える近くの山々には雪が残り、小川には