ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

塩川伊一郎評伝

台・商工会・株式会社などの大きな建物が数え切れないほど並んでいた。安治川の橋から見ると汽船が無数に停泊し、居留地、聖アンナ病院が並んでいた。朝早く盛んな魚市場の仲買人の様子はケンカか戦争のように感じた。商工会の建物に入って商品の陳列場を見学した。書籍室に入って本を読んだ。勝太の考えていた事業について、得るところが多かった。日本商品陳列場では、糸類.小間物.陶器.漆器・織物・茶・鉱石の見本・漁業・製油所のひな形など、山国の信州では得られない貴重な知識を得ることができた。お昼は二銭のさつま芋で腹を満した。しかし勝太の目は大阪の人々の着物に注がれていた。紬の衣類や山糸の布でつくられた着物を着ている人が多かった。大島紬はまだちらほらだったが、将来は流行することもあるだろうと思った。大島紬は柔かくしてシワがよらないで汚れが目につかない。洗っても色が変らないので、ふだん着にはすぐれた衣料と思ったからである。大阪から汽車に乗って草津に降りたが、着物はよごれ大きな行李を肩にしている風体があやしく見えたのか二軒の宿で宿泊をことわられた。三軒目の宿でやっと三○ 銭で泊めてもらった。草津では真綿は作っていなかった。真綿は長浜地方で製造していると聞いて米原に向かった。汽車賃も宿料もなくなったので、羽織を質に置いて八〇銭を得た。この旅行で勝太は大島紬の製造についての構想を立てることばかり考えていた。米原の東二十町余の村では個々の家で真綿をつくっていたので、勝太は経験と路銀の足しにと働きながら教えてもらいたいと頼んだがことわられた。