ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
大島紬については工場内の製法ばかりでなく、真綿や紬の価格や工賃などについてくわしく聞きとりを行なっており、養蚕王国信州人らしく、安い真綿が高価な大島紬となって売れることに着目したようである。この文は鹿児島での一日のことであるが、琉球や奄美大島を通った時に見聞したことがもとになっていることは間違いない。勝太の日記は、カタカナまじりのむずかしい文章なので、現代文に直して話を進めてみよう。二月二十四日、鹿児島を出港、湾内は静かで桜島や開聞岳の美しさにみとれていた勝太は、太平洋に出ると荒波にゆられ嘔吐と苦痛になやまされる。船の中で知り合った大島の青年と親しくなり、その彼に布団の半分を貸してもらいヽ体の調子もよくなり、安眠できたとあることからみてヽ船賃を倹約していたことが窺える。二十六日天気がよくなって播磨湾に入ると、甲板上に出て四国の島々や白砂青松の風景を楽しんでいるが、一ノ谷の合戦における義経の戦略や平家の苦戦を偲び、感慨にふけるなど、歴史について相当勉強していたことがわかる。神戸港に着いた勝太は、神戸の街を一まわり見学すると、昼食をとって汽車で大阪に入った。車窓より見える畑には大根が青々と成長し、青菜を採集していることを聞き、梅の花や椿がいたる所に咲いている様子をまのあたりに見て、春のおそい信州と比べて植物の成長が早いことに驚いている。このことが後に勝太がイチゴ栽培をわざわざ兵庫県で行う契機となったのである。