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概要

塩川伊一郎評伝

たりも標高七○ ○ メートル以上の高冷地である。日本の中央部にあって冬はたいへん寒い地域である。一月から二月にかけて寒い朝は、零下一二、三度まで下がることがしばしばである。その上、冬型の気圧配置になると、かわいた冷たい風によって竹や柏の葉を枯らすほどのきびしさをみせる。土の表面も二〇?三〇センチも凍ってしまう。秋に植えた苗は根が凍っていたまないように盛土をして防ぎ、春になってからその土を平らにならして、根もとに太陽のあたたかさがとどくように工夫したことは、前述したとおりである。四月に入って新芽が出て花をつけようとする頃になっても、冬型の気圧配置になると冷たい強風が吹き、翌日に高気圧が日本の上にくると風は止まり、雲はなく、すみきった星空がキラキラ輝く翌朝はきまって強い霜がおりる。明治のころは今より気温が低かったので、せっかく芽を出した桃の葉は霜にうたれてやけどをしたのと同じようになり、陽が高くなるとおちてしまう。いわゆる凍害である。すると樹の勢いはおとろえてしまう。凍害を受けた時には、いたんだ葉を一枚一枚摘みとることによって被害を少なくするように努めた。幸いにして桃の花は花粉の交接が終ったものは凍傷になることが少なかった。寒さよりこわいのは病害虫であった。桃の樹には心虫が樹皮の中に入りこみ、ねばねばした樹膠を出すようになる。時には根もとに近い所の樹皮を一まわりするように傷つけて枯らしてしまうことがある。伊一郎父子は、皮を少しはいで穴の中に針金をさしこんで虫を殺すよりほか方法を知らなかった。蛾虫(アブラムシ) が新芽につくと養分をすいとるので、枝の先の方の葉が小さくまるまったような