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概要

塩川伊一郎評伝

ば人糞が使われていた。伊一郎は苗を育てる時に下肥をうすめて施していたが、それだけでは丈夫な樹を育てるには不足していると考えた。そのころ水田の肥料として使われはじめていた大豆粕と化学肥料の硫酸アンモニヤと過燐酸石灰を使う研究をした。それも、チッソヽリンサン・カリの三要素について計算をして、植えた初年度から樹の成長に合わせて量を増やし、四年目から果実がつく頃には、過燐酸石灰を加えるといった近代的な施肥方法を表にして、新しく植える人々に教えた。四年目からは花芽や果実がよくつくように、木炭を加え、樹勢に応じてその割合を考えて施すように、またその年の安い肥料を適宜に使うために、油粕・魚粕・米ぬかなどもあげている。果実が成熟期になって落ちてしまうのは、リンサン肥料が欠乏していることが多いので、木炭を増すか、リンサンヽカリを加えるようにと説いている。せっかく与えた肥料分をすい取ってしまったり、苗の成長に悪いのが雑草の繁殖である。四月下旬から草かきでガリガリと取り除くが、腰がいたくつらい仕事であった。ニ間おきに植えても株間は広くあいている。そこで熊二の教えにしたがって、植えてから二?三年は間作を行なった。じゃが芋や百合の栽培は除草のためばかりでなく、土を深く耕し、肥料分をのこし、その上に果実をつけるまでの収入となってヽ現金収入の少なかった農家の経済を助けることになった。伊一郎父子が最もおそれていたのはおそ霜と病害虫であった。若い時に三才山のりんご園づくりで全滅に等しい大失敗の原因となった、にがい経験があったからである。佐久地方は北に浅間山、南に八ケ岳と二千五○ 〇メートルから三千メートル近い山がそびえ、一三岡あ