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概要

塩川伊一郎評伝

七桃づくりの努力と技法のあみ出し同志たちは新たに原野や林を切り拓いた畑ばかりでなく、それまで、麦や豆・あわなどをつくっていた畑にも桃を植えていった。植える時期は春と秋の二回あったが、三岡の場合は秋植えの方が成長が早いことがわかった。秋植えの方が翌春の成長が早いために、三年目になるとその春に植えた苗の四年目と同じくらいの成長をみせた。稲の取り入れが終った晩秋になって、ほかの農作業が一段落してから、畑をすきで耕し、雑草や木の根を取りのぞき、縄を張ってうね幅を二間一尺、株間二間の菱四ツ目法によって、一反歩に七○ 本?八〇本植えていった。苗木は根を傷つけないように掘り起こし、長さ五?六寸に切り、幹はかりに一尺五寸に剪定して植えた。できるだけ浅植えの方が将来の成長を早めるが、秋植えの場合は土を盛りかけて寒さを防ぐようにし、翌春になって発芽するころになって土をかきならすように、細心の注意をはらい、苗を保護するなどの工夫を行なった。火山灰に被れた表土とその下の礫のまじった排水のはげしい下層土のために、畑はあまり肥えてはいない土地なので、苗の成長にとって大切なのは肥料であった。明治中頃の農家で畑の野菜の肥料といえ