ブックタイトル塩川伊一郎評伝
- ページ
- 45/332
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている45ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている45ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
塩川伊一郎評伝
六風土に合った浅間水蜜桃づくりに成功りんご園の失敗というにがい経験を持っている伊一郎父子は、桃栽培については慎重に立ち向かった。りんご栽培の失敗は、土や気候などの自然について無知であったのを反省し、果樹の成育について考え続けていたのであった。再び失敗をくりかえさないために、勝太は新しい勉強を続けていた。土壊については、農商務省地質調査所土性課で調査した「土性説明書」を読んで、三岡附近の火山灰土は予想以上に養分が少ないことを知った。そしてアメリカの果樹地帯では、肥沃の土地にはぶどうや柑橘類を栽培し、あまり肥沃でない土地に桃を栽培していることを学んだ。気候については、岩村田にあった北佐久郡役所の調査した温度や降水量によって桃の成長との関係を考えた。勝太は温度表をみて、春の四・五月の開花期から萌芽期に時々おそってくる低温と霜の害を心配していた。しかし、夏は七・八月の平均気温が二一三度?二四度の暑さになり、樹の成長や桃果の肥大には充分であろうとみていた。雲の量の少ないことや快晴日数の多いことは良い条件に入り、湿度の低いことは悪い条件になると考えていた。佐久高原に特有の秋冷については、晩熟種の栽培には影響があるのではないだろうかと予測していた。