ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
五三岡村、桃栽培のはじまり木村熊二が森山で演説会を開いたのは、明治二十九年(一八九六)三月一三日であった(『木村熊二日記H』)。前年の九月から、伊一郎はたびたび熊二のお宅を訪ね、熊二もまた森山の伊一郎の家をおとずれて果樹栽培についても話していたが、実施するだけの決心も資力も持っていなかったのであろう。伊一郎は、自分一人だけでなく村人たちにも木村熊二の話を聞いてもらい、同志を得ようと木村に森山で演説をしてくれるように依頼した。「森山村桃樹栽培の経緯について」によると、「かくて余ハ一日森山村に於て演説する事となりぬ村民の大半ハ同夜集会セリその土地ハ到る処、火山灰の堆積より成り立たるモのにして、果樹にハ適するも他の農産物にハ許多の肥料を施すにあらされハ多の収穫ハ得難かるべしと思へり余ハ偶然水蜜桃の事を思ひ出し且つ百合栽培ハ適するならんと思ひたれハ第一に桃樹を植付ケ一三年間ハ間作として百合を培養することを説きたりしに伊一郎は拍手喝采セリ一場の演説ハ巳に畢りて聴衆の散して後八人の熱心家は其場所に残りて余と共に桃樹植付の利害得失を談す半信半疑の際伊一郎ハ立ち上りて『桃樹栽培にあらされハ今後の成功ハ期し