ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
二の家を訪ねた。『木村熊二日記H』にはじめて伊一郎の名前が出てくるのは、明治二十八年九月二十日のことである。木村熊二は、その日の大事なことをきちんと書き留めているから、この日より前に伊一郎が訪れたとは考えられない。二十日の日記には「牧野老人塩川栄一郎来訪」と書かれているが、翌二十一日には「朝森山村塩川栄一郎を訪ふ」とあるので、伊一郎のことと推察される。ただ、栄一郎と書かれているのは、佐久地方では「イ」と「ニ」の発音が区別つかない人が多く、おそらく熊二は「イイチロウ」を「エエチロウ」と聞き間違えたものと思われる。木村の文章である「森山村桃樹栽培の経緯について」(第三部資料篇一参照)によると、「蓬頭乱髪にて髭鬚を剃らず、言笑疎野」と伊一郎の第一印象を書いているところをみると、伊一郎は頭の毛も口ひげもあごひげも手入れをしないで、しゃべり方も笑い方も、田舎者まる出しの感じを与えたようである。しかし、伊一郎の話の内容は、佐久地方の農家の暮しの貧しさをなげき、一部の富める地主層とそれに対して塗炭の苦しみにあえぐ多くの小作人層が存在するというその頃の社会の矛盾をなげいている様子がくわしく書かれている。貧富のはげしさ、家柄の差、借金の利息によって苦しんでいる村人たちの生活に憤慨するという社会のあり方に対する伊一郎の認識の鋭さに、木村熊二が心動かされたことは想像に難くない。伊一郎は、今まで自分が行なってきた果樹の植えつけやりんごの失敗についてくわしく話したとみえる。それを聞いた木村は、翌二十一日の朝、森山の伊一郎宅を訪ね、昼すぎに帰宅している。その時に