ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
四木村熊二の門をたたいて『木村熊二日記H 』(東京女子大学比較文化研究所刊以下同) によると、木村熊二が、キリスト教の布教のためにはじめて信州へ入ったのは、明治二十四年二八九一) 十月十日である。横川から馬車で碓氷峠をのぼり、軽井沢から小諸へ入ったことが記されている。しかし、この時の滞在はわずか二週間あまりであった。翌二十五年一月十五日には、再び信州入りし、南佐久郡前山村出身の代議士早川権弥の招きによって、岩村田を経て野沢の並木信一郎宅に泊り、佐久各地でキリスト教の伝道をした。早川権弥は、信州が誇る自由民権運動家。佐久地方のキリスト教布教に多大な功績を残すと共に、自由党員として、言論集会の自由や地租軽減などの建白運動に活躍した。また後に衆議院議員、南佐久郡会議員、前山村長などを歴任、木村熊二を助け、佐久キリスト教会初代長老となった。熊二は小諸へは一月二十五日、岩村田から入って佐野ヽ田沢両氏をたずねている。その後、馬車や人力車で、何回も小諸の街ばかりでなく御影の柏木新三郎や御代田の原田耕三郎などの旧知を訪ねている。こうした精力的な布教活動の中で、野沢の並木方で親戚に当る小山太郎らの熱心なさそいによって、