ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
土地を欄いては植え、また土地を拓き、四千本の苗を植えつけていった。りんごの木は、予定通り成長をみせて伊一郎父子を喜ばせた。「一本の木から一円つつ取れても四千円の収入だ」と勝太の夢が現実味をおびてきた。しかし、白い花はつけたが実がみのらなかった。りんごの木は植えて数年にして花をつけはじめるが、樹が熟成しない時期には実をつけないまま落ちることがよくある。若い勝太にとって、せっかく花が咲いたのに実をつけなかったことは大きなシヨックだったにちがいない。交配も不充分だったのであろう。さらにこわい虫の害が、りんごの成長を弱めた。五年目になって、成長したりんごの木に白いわた毛のような「綿虫」がついてしまった。消毒をする薬についての知識がなく、霧にしてふきつける道具など全くなかった時代なので、手で取るよりほかに方法はなかった。しかし、四千本にも広がったりんごの木についた綿虫は、手で取りきれるものではなかった。ついには枯れたように弱ってしまった木も出はじめた。その上、春先におきた近くの山の野火がりんご園に移って多くの木が焼けてしまった。このたび重なる障害に、勝太の初志はゆらぎはじめた。開墾しただけの畑では肥料分は少なく、りんごの樹勢をつけさせることはできなかったのである。せっかく結実したりんごが落ちるのを見て、勝太は自らの夢がもろくも崩れ落ちていくのを感じた。五年間にわたる三才山峠の麓でくりひろげられたりんご園づくりは失敗し、断念せざるを得なくなった。労働賃約千円、諸経費約千円は、伊一郎が勝太のために用意した大切な金であったが、その資金を