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概要

塩川伊一郎評伝

三三才山でのりんご園づくり若き勝太の挑戦勝太は明治二十二年(一八八九)、丸子町の鹿教湯温泉の奥の土地に小屋をつくってその中に寝泊りし、近くの青年五人を雇って開墾をはじめた。内村川が上流から長い年月かけて土を運び、谷を埋めてできた平らな土地は雑木林となっていた。小石まじりの土地であったが、三岡のような火山灰の積った軽い土よりは、りんごには適していたと考えたのであろう。雑木を切り、根を掘り、石を運び出す仕事が勝太と五人の若者たちのおもな仕事となった。彼らはのこぎり、つるはし、唐ぐわといった道具をつかってりんご園づくりに精出した。伊一郎は、勝太のためにはじめ千円の資金を用意した。人夫賃や道具代のほか、食料費などに用意した資金は少なくなっていった。伊一郎はその後も資金を勝太のために用意したが、これは決して楽なことではなかった。その上、りんご園に植える苗も増殖しなければならなかった。苗は春から初夏にかけての時期につぎ木を行なうが、畑の手入れを考えると、朝早くから夜おそくまで仕事が続いたにちがいない。三才山では息子が、一三岡では父が、新しいりんご園を夢みて「夙に起き夜中に寝て」という生活の中で努力が続けられていった。