ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
屋から丸子へ出て東内村を西へ進むほかは道がなく、りんご苗や荷物を馬車に積んで行くには一日をついやした。朝早く出発して、夕方でなければ着けない距離であった。そんな遠い所へりんご園をつくろうとしたのは、三岡の附近には貸してくれる人がいなかったのか、三岡ではりんごには寒すぎるので少しあたたかい丸子町を選んだのか、また斎藤村長と伊一郎がどんな関係にあったのか、詳細は不明である。現在は内村ダムができて上流の方は水没しているが、ダムの下のあたりで開墾が行われたものと考えられるが、今となってはそのいきさつはわからない。明治九年ごろから長野県では、善光寺平でりんごが栽培されはじめているので、勝太は成功を信じていたのであろう。