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概要

塩川伊一郎評伝

明治29 (一八九六) 伊一郎ら同志8人、桃園づくりにとりかかる。31 二八九八) 明治31年1 月24 日?同32年3月8日まで、勝太、台湾・奄美大島旅行を行なう。32 (一八九九) 4月、勝太、小県郡和の出沢薫則の妹すゐと結婚する。4月7日、勝太、奄美大島に真綿の売り込みに出発する(5月1日帰郷)。9月6日、勝太、第三回目の奄美大島行きを行なう(1月20 日帰郷)3 (一九〇〇) イチゴ栽培を始める。34 二九〇一) 8月1 日、日本桃養合資会社が設立される。1月、イチゴジャムの缶詰を閑院宮殿下に献納する。以後毎年献納する。35 二九〇二) 12月20 日、日本桃養合資会社の資本金三千五〇〇円に増資される。37 (一九〇四) 伊一郎父子ら九人、日本桃養合資会社を脱退、新たに塩川缶詰合名会社を設立する。日露戦争起こる。38 (一九〇五) 塩川式果実皮取器械と同核抜器械を発明、専売特許を取る。39 二九〇六) 3 月7 日、初代伊一郎亡くなる。3 月末、小諸義塾閉塾。8 月28 日、日本桃養合資会社、資本金を一万円に増額して株式会社となる。10 月、山梨県主催一府九県連合共進会に洋梨糖煮缶詰とイチゴジャムを出品、共