ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
十八塩川伊一郎関係年譜年西暦事柄弘化3 (一八四六) 初代伊一郎、北佐久郡北大井村柏木に生まれる。慶応元(一八六五) 初代伊一郎、北佐久郡三岡村森山の塩川幸三郎の娘きよと結婚、塩川家に婿養子にはいる。明治2 二八六九) 1月3 日、勝太(二代目伊一郎) 生まれる。14 二八八= 勝太、小諸の中山義塾に入門。漢籍を修める。18 (一八八五) 1月6日、勝太、東京の原洋義塾に入門のため上京。2 (一八八九) 伊一郎父子丸子町の三才山峠の麓でりんご栽培を始める。24 (一八九一) 10月10日、木村熊二、初めて信州入りする。25 (一八九二) 1月15日、木村熊二、再度信州入りする。26 (一八九三) 1 月25日、小諸義塾開校する。27 (一八九四) 三才山峠の麓でのりんご栽培、失敗する。28 (一八九五) 9 月20 日、伊一郎、木村熊二宅を訪ねる。29 (一八九六) 3 月3 日、熊二、森山村で演説会を開き、桃樹栽培を奨励する。