ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
「佐久名流評林」此に於て一介の読書生は他日の園芸家を以て自ら任じ、一挺の鋤黎を擔ひ起って郷関を出でき。時に明治二十二年某月にして、君の正に二十一才の時なりき。幸にして同郡西内村々長斉藤氏の加力を得三才山山麓の原野十町歩の開墾を創始するを得たり。即ち隨って辟けば隨って植ゑ、遂に四千株以上の林檎林を作れり。此の時に当り君五人の傭夫と共に寂寞たる林中の芽含に起臥し、艱苦曲に甞めき。而も自ら他日の累々たる結玉に慰安し、刻苦愈々励みたり。然るに其の結実の期に至るや其の結果は、豫期の半に至らざるのみならず害虫の蠹毒に遭ひ、野火の焚焼に遇ひ、宿志全く敗れて遂に手を空しうして帰郷の己むなきに至れり。帰り到れば父の栽培せしものも亦同様の運命に接せしを見て、以爲らく、此の樹到底此の地に適せず、適せざる地に適せざる樹を栽う、これ今日の失敗を見し所以なりと。而も君は此の蹉跌を以て徒に挫折する人にあらず。一日間を得て其の父に語って日く、小子頃日、此の栽培便覧を読み、心私に得る所ありたり。請ふ洋桃の試植を敢てせんと。父亦之を賛せしと雖も、軽忽手を下さば、恐らくは復前轍を踏むの惧あらんと、未だ容易に之を許さず。先ず小諸義塾主木村熊二氏に諮ふに洋桃栽培の方法を以てせしめたり。蓋し木村氏は甞て久しく米国に留学し、彼の地栽培の実況を知ればなり。君即ち同氏に就きて備に其の実況と方法と