ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
十四園芸家塩川伊一郎君(『佐久名流評林』より)君は北佐久郡三岡村字森山の人、明治二年某月に生る。父某氏性警敏器用常に規矩準縄の事に従ひ最も良匠の譽ありき。而して又接木の法に熟し事業の傍〓々人の委嘱を受け、諸種の樹木を接し人某の多能を称しき。君亦其の性を承け幼にして器識あり。而も自ら其の箕裘を襲くを欲せず、文学を以て身を立てんと欲し、居村の小学校卒業の後、小諸町なる中山義塾に遊び、専ら漢籍を修めたり。居ること二年、遂に意を決して東上し、原洋義塾に入学し、数学と英語とを研究せり。実に明治十八年一月六日なりとす。既にして家事の君をして研学を遂げしめざるに会し、恨を呑みて帰郷するや、閭巷の年少相語って日く、彼れ多少の文字あるを以て、傲岸自ら處る豊悪むべきにあらずや。請ふ今より彼と交を絶たんと、議一決、之を君に通ずるや、君平然自若、毫も之を意に介せず、却って青年の無謀を愍みたりき。而も是れ君をして後年奮起の基因たらしめしと言ふ。会々父某氏、舶来蔬菜果樹栽培便覧を読み、暁る所あり。語るに林檎栽培の利を以てし、日く、請ふ試みに之を栽えんとす。君亦大に某の擧を賛し、即ち苗木を東京三田育種場に求め、漸次之を繁殖せしめて遂に数百株の栽培を爲したり。此の時に当り、君別に見る所あり、父の同意を得金一千円を投じ地を小県郡三才山麓にトし、一林檎園を設くるに決意せり。