ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
事試験場に於て洋桃の病害其他の栽培地を設置したるに選ばれて、担任者となり熱誠を以て管理の任にありし。当時余も又郡の勧業の一部に携はり居りて実地に其を視察したる事ありき、而して今回余が此頃を記するに当り頃日寸暇を以て三岡村森山を訪ひ土橋停留場よりの道順として塩川伊一郎氏を第一に訪問し、現今天下の特産物をして我等が拙なる筆を以て紹介するの要なきも去りとて特産物中の特産物として除外するは如何のものにや。兎に角起業以来今日までの経過並に其間に於ける事業の起伏の大要を聴し世に発表し後進者の参考にもがなと、種々なる想像を持して訪れたるに、塩川氏数日前上京との事にて不在、空しく辞して会社に立寄りたるも是又農繁時の事とて留守居役の人々すら居らず塩川民助氏を問はんとせるも、斯の如き運悪しき日は一先つ中止するの得策ならんと思ひ止まり三岡村役場に至れば、当日は日曜との事にて当直の人迄も他出是又何等得る処なくして帰路に向ふ、我等は常に繁劇の身天下の日曜を忘却し居りしは帝国の臣民として洵に笑止千万なるも此日位余の為めに都合あしき日は會てあらざりし様愚考したりき、従て本項記事の材料は余が會て斯業奨励に関せし当時の記憶に任せて述ぶる次第なれば、実際其事業に携はりつつありし熱心家功労家の諸君より見れば事実相違の点多く反物足らざる感あるべきは勿論あるも一般後進者の参考と師範ともなるべき事実は更に回を重ねて連載したき考へなれば先輩者に対しては予め茲にお断り致し置く次第なり。