ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
読者諸君、何事に依らず創始の事業をして、或る程度迄発達せしめんとする起業者の苦心は容易のものにあらず。終始一貫その任に当り百折不屈千挫不撓、即ち献身的至誠の行動を以て難事と戦ひ、熱血をそそぎ堅実忍耐を以て四圍に蝟集するの凡百の害敵を駆遂するの覚悟なかるべからず、これに加えこれ等の事業は起業者が如何に高尚純潔の精神と不抜不磨の気力とを以て事を處し、或は自己の利益を犠牲に供すると雖も、小数の当業者が燃ゆるが如き理想の憧憬を以てしても、到底所期の目的を貫徹するや極めて難き場合稀なりとせず。故に事業の種類を問はず多数の同志が一團となりて十有余年の昔、三岡村を中心としての有力者が、其挙に賛同せられたるが如きは洵に斯業の一大思人にして、北佐久の洋桃及苺の今日あるは決して故なきにあらず。「衆髪克く象を繋ぐ」と言ふにありしなるべし。さて、三岡村森山に合資会社の組織となり缶詰業を開始するに方りては、木村氏が盡力するは勿論なるも、氏としても其製造の実地に通ぜるにあらず、其の他の諸氏も勿論なれば、木村氏の知人なる当時東京市小石川区指ヶ谷町に斯業を営み、而も其道に造詣深き豊田守五郎氏を招聘し実地の指導を受くるに至り、茲に於て始めて其の目的を達し得るに至れり。即ち我が佐久の地に缶詰製造を開始せられたるは、之を以て嚆矢にして缶詰業の起源として、大方読者の永く記憶に存し置かれ度事実なりとす。斯の如く生果生産過剰の利用策は美事に成功し、会社直営の栽培地は勿論各地事業家若しくは実際農家の副業として植栽せられたる数本の洋樹にても生果處分に全きを得さる向に対しては、相当値段を以て買上の上製造し、一面販路の拡張に努め其一方法としては各地の共進会博覧会、若しくは品評会には、開