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概要

塩川伊一郎評伝

斯の如き時勢の生みたる事業家は即ち三岡村森山の先代塩川伊一郎氏なりとす。氏は明治十八年中率先して数多の苹果苗を購入して之を繁殖し、居村に五反歩、小県郡地籍に十町歩の果樹園を設置し専ら経営に苦心の結果、一時有望の時代なりしも、斯業の将来は自己の経験上、地味適当せざる傾きあるを認むるに至れるも、尚数年継続し到底見込なきに依り、後年遂に廃止するを得ざるの悲況となれり。是より先、明治二十九年三月現村長中村廣太郎氏所有せる山林約四千坪の立木を伐採したる事ありき。当時其跡地は苹果の栽培が適当ならんと言ふものあり、同氏外六名の共同経営を以て果樹園を仕立つるの議まとまり愈々着手せんとするに当り、兎に角斯業の率先者塩川伊一郎氏に協議し、更に米国理学士木村熊二氏当時小諸義塾の経営者なりしが、氏は多年米国にありて同時果樹栽培の実況に明かなるを知り、同氏に付き同村の風土に適する果樹の指導を乞ふに至り、その結果米国桃樹の有利なるべきを掲示せられ、直に数十種の洋桃種苗の購入を為し、試植を為したるを以て其の起りと為す。斯の如き径路を以て創業せる洋桃事業は、数十種の試作に依り或る物は良好の結果を収むるに反し或るものは枯死し或は害虫の蝕害する處となりしも現今栽培しつゝある水密桃外二三種が同地に通することを認むるを得たり。依て更に同志に勧誘したるに斯業の当時有利なるを世人の知る處となり、数年を出ずして附近各村に分布し得るに至れり。其間三岡村塩川伊一郎塩川貞五郎等の諸氏は、勧誘するの一方便として桃樹の結実後収益を見たる暁に於て、種苗代を支弁せしむる約束にて売却し、或は自ら発起(となり組合組織の桃園を仕立て、□ しく希望者に苗木を寄贈する等大いに盡力したる結果創業早々にし