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概要

塩川伊一郎評伝

二りんご栽培に着目『舶来蔬菜果樹栽培便覧』を見た父の伊一郎は、興味をもって読んでいたが、「佐久にはりんごがいちばん合っているのではないか」と勝太に語りかけ、りんご栽培が信州には適していることを読みとり、試験的に栽培してみようと意志をかためた。伊一郎は棟梁の仕事のかたわら、春には柿や梅のつぎ木の名人として、一三岡村ばかりでなく小諸町の人々にも頼まれるほどの技術を持っていた。また、園芸にはかねてから趣味を持っていたため、りんご栽培に着目したのは自然であった。父子の意見は一致した。勝太は遊学中に知った東京三田の育種場から数種類のりんご苗を取りよせた(『一三岡地方洋桃栽培経営書』ー東京女子大学附属比較文化研究所蔵以下同)。この苗木をつかって、野山にある小さい実をつけるりんごの原種の台木につぎ木していった。つぎ木は伊一郎がはじめは行なったが、数が多くなるにつれて、勝太や家の人々が教えを受けて手伝った。当時の三岡村には松やクヌギの平地林がひろがっており、林の中には村の人々が「コナシ」と呼んでいた小さなりんごと同じ形をした実をつける木が生えていた。はじめのうちはそれらを台木にしていったものと思われる。この年四〇〇本のりんご苗を育てることに成功した父子は、この苗をもとに広いりんご園をつくり上