ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
を低廉にし、将に発達せんとする新事業を躓かしめたり。鳴呼余は苹果の失敗に家資を失ひ、洋桃の種類研究に幾多の歳月を費やし、販路の拡張に焦慮多費を以て洋桃利益の過半を失ふ。而かも漸く盛ならんとして又この事なり。誰か洋桃業を以て容易なりとなすものぞ、是れ余が歴史を知らざるものなり。総て事業に資本を要するは言ふ迄も無きことなるも、冲天の意気存するならば、資本無くも又成功せざることなるらん。「精神一到何事か成らざらん」とは、古人の金言なり。明治三十七年一大決心を以て家財を売却志、空挙を揮うて缶詰製造処を設立せり。此の時に当り一人余を助くる者無きのみならず多数の反対妨害に逢ひ、其の困厄明状すべからず、四面皆敵、加ふるに内糧食の欠乏を告ぐ、進退全く谷まれりと言ふべし。斯く干難に衝り、万苦を嘗むるも、冨者の助力を仰がず、貧者猶爲すあるの気慨を示し、勇往邁進、益々製品の精撰に勉め、致々として勉励怠らざる結果、内外の信用次第に重く、小諸には五商店率先して余が製品発売の任に当り、今や京濱は勿論、各地に取引の大商店を有し猶進んでは海外に販路を拡張するの策を立つるに至れり。以上余が洋桃栽培に従事して以来十有余年間の歴史概略なり。尚進んで余の斯業に就き研究し、自得したる結果の大略を述ふ可し。洋桃は地質の軽鬆なると砂礫の瘠地たるとを問はず、能く適当す。種類を精撰し、一反歩六十本を移植し、三円より六・七円の肥料を施せば、移植後三年目より結実し、初め五・六年目には六・七百貴匁、七・八年目には一千貴匁以上の生果を収穫すべし。故に現今價格(小売相場に非ず製造処にて買入の相