ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
九洋桃の利益及危険に就て経験者塩川伊一郎(塩川家所蔵)日本中央山脈・富士山脈の衝点たる信州佐久の地、新企業・新事業として勃興するもの多しと雖も、忽ち興り忽ち倒れ、永続する者少なし。蓋し浅間山南麓の土地磽〓、気候寒冷、各種の工業殖産に適せざるに因る。故に国産物として輸出する者、僅かに生糸の一種に過ぎず、更に余の遺憾とする処なり。余茲に鑑みて国産物を興し、海外輸出を謀らんとする事年あり。其の第一着手として今を去る二十有余年前、果樹栽培に志し、熱心事に従ひ、遂に今日国産物の一として認められ、盛に栽培せらるるに至りたる洋桃の起源を爲せり。蓋し新事業として洋桃栽培の如く、急激の発達をなせる者尠去。以て如何に其の利益の多大なるか、如何に其の気候風土に適せるかを見る可志。然れ共人は皆盾の両面を見ざる可からず。多大の利益は無限の危険を伴ふものなることを知るを要す、其の利益のみを見て危険を知らさるものは失敗す。洋桃の栽培益々盛ならんとして危険を冒すもの愈々多からんとす。或は恐る漸次発達の気運に向へる事業を蹉跌せしめんことを、余果樹栽培業に従事すること二十有余年、殊に洋桃栽培には十有五年間、実験研究