ブックタイトル塩川伊一郎評伝
- ページ
- 26/332
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている26ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている26ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
塩川伊一郎評伝
一塩川伊一郎家と勝太の上京小海線三岡駅から森山へ向かって南西に約一キロほど進むと、御影用水に沿って大きなニ階建て瓦屋根の建物と土蔵が桃畑の中に見えてくる。この家が、佐久に桃樹栽培を導入した塩川伊一郎家である。春のゴ― ルデンウィークのころには、三岡駅から森山・市村・御影新田一帯にかけて、桃の花が咲き誇り、鯉のぼりが風に泳いで佐久地方の最も華やかな季節を迎える。浅間山の頂上には、かすかに白雪が残り、すそを長く引いたなだらかな高原の家々の庭先には、桜やレンギヨウの花が咲きみだれる。小諸には「塩川」姓を名乗る人々が三七○ 軒余と多い。彼らは現在も本町をはじめ、御影新田や小原などにいくつかの「まけ」(一族)を持ち、古くから「小山」姓を名乗る人々と共に地域の発展に貢献してきた。初代塩川伊一郎は、弘化三年(一八四六) 北大井村柏木の小山儀助の次男として生まれ、慶応元年三岡村森山の塩川幸三郎の娘きよと結婚、塩川家へ婿養子に入った。伊一郎・きよ夫妻は先祖代々からの田畑を耕し、またその頃から盛んになってきた養蚕業にも励んでいた。伊一郎は園芸の趣味が深く、特につぎ木の技術にすぐれていた。また大工の棟梁としても人々の