ブックタイトル塩川伊一郎評伝
- ページ
- 234/332
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている234ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている234ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
塩川伊一郎評伝
治三十三年東京横浜ニ販路ヲ開ケリ。初メハ姦商等ニ欺カレ腐敗ノロ実ノ下ニ多大ノ損失ヲ被ラサレタルモ、奮励事ニ当リタルヲ以テ遂ニ信州洋桃ノ名声ヲ得ルニ至レリ。然レドモ生果ノ生産額遽カニ激増シ、加フルニ洋桃ハ生果トシテ其保存力甚タ短キヲ以テ腐敗ニ腐敗ヲ重ネ大ニ損失ヲ被レリ。茲ニ於テ生果利用ノ方法トシテ洋桃缶詰ノ製造ヲ企テ同志ト謀リ明治三十四年洋桃合資会社ヲ設立スルニ至レリ。三十四年十一月以来毎年糖煮缶詰ヲ閑院宮殿下ニ献納ス。明治三十五年西洋苺ノ栽培ヲ初メ洋桃缶詰製造ノ余暇ヲ利用センコトヲ企テ、各種ノ種類良否及ビ製造ノ適否試験ヲ行ヒ、漸次増殖シテ現今ハ四町五反歩ノ苺園ヲ有スルニ至レリ。畑ハ浅間山下一般ノ圃地ハ余リニ瘠薄ニシテ不適当ナルヲ以テ苺園ハ水田ヲ使用セリ然レ共一時ニ多数ノ田地ヲ借入スルハ小作人ヲ困却セシムルモノナルヲ以テ、水田收穫ノ全部ヲ彼等ニ支払ヒ苺園ノ手入ヲナサシメ肥料ト採集ノ手間ヲ苺園主之ヲ支弁スル約束ニテ前記ノ苺園ヲ設立セリ。明治三十七年会社ヨリ分離シテ独立洋桃缶詰、苺ジャム製造所ヲ設立セリ。明治三卜八年塩川式〓皮器及塩川式核抜器ヲ発明セリ。〓皮器ハ人工ノ四倍ニシテ桃果三十貫以上ヲ〓皮シ、核抜器ハ人工ノ十倍ノ速力ヲ有シ二百貫内外ヲ核抜ス。而シテ〓皮面ハ美麗ニシテ離核面ハ美観ナリ本器発明以前ニアリテハ工女一人ニテ平均一切仕上ケ迄二十五個ノ缶詰ヲ製造スルニ止リシガ本器ノ発明アリテヨリ一人ニテ一百個ノ缶詰ヲ製造シ得ルニ至レリ。故ヲ以テ工費ヲ節約スルコト多大ナリ。従テ製品ハ多大ニ産出セラレ廉価ニ販売シ得ルニ至リタルヲ以テ他産ト競争スル余力ヲ生ジ大ニ販