ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
伊一郎は小作人の立場にたって土地の譲渡を考えた頗る当つて、今では自園ばかりでも十町歩以上も栽培して居る、創業当時は専ら生果の販売が目的であつたが当時はまだ、洋桃に対する、嗜好甚だ薄く、洋桃と云へば天津水蜜桃が盛に歓迎されて居たので主に天津種を栽培して傍ら他種を試植して次第に「アイスデンジユン」「アーリーリハー」種を増植し今では天津種を排する様に成つた。生果販売一途ては甚だ危険を感じた氏は缶結製造を思ひ立つて前二種を主として其他の洋桃を合せて栽培して居るか善良なるものは一樹で二十貫二円四五十銭位になるものもある、此の土地元より交通不便であるから主に軽井沢の外人か第一の華客であるけれ共これとて微々たるものであるが何分短時日に成熟して保存力の甚だ短いものであるから輸送中腐敗の恐がある問屋は完全の物に対しても腐敗を口実に代金を支払はないことは度々である実際に於て長途の輸送は困難であるから今では生果販売を目的とせず缶詰として多く販売して居る年に一万打位は製造して居る、他地方のよりも少し高いが地味が宜いから味は此地の産に及ぶものはない、氏は多年研究の結果会得した方法を広く村内の希望者に伝授して居るので今では佐久地方のみでも三百町歩以上にも増加