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概要

塩川伊一郎評伝

支へて来たので途中琉球に滞在して今後の方針に就てあゝこうと思いを廻らしたが、不幸寒国に生ひ立つ氏の体質は斯る暖国の起業には不適当なる事を感じたので無念とは思ひながら再び故郷に帰ることに決心した、然しこゝ迄漸く渡つて来た位だから、帰国の旅費がない、国へ度々打電してもそう急には金が来ないので、毎日く首を長くして待つて居た。漸く三十円の金を受取つて帰途に就いたが船が薩摩の大島へ寄港したので茲に三度失敗の種を求めた、此大島は紬の名産地である、その頃一円廿卅銭位の真綿で十円も十五円もする反物が出来るので信州産のものと交換する事の非常に利益あるを思つたから早速実行する事にして帰国を急いだ、江州まで来た時には一円に足らない端金と成つて終つたが前途尚百里の道を歩かねばならないのである、と思つて氏は食ふものも食はずに昼夜兼行、僅か五日にして無事百里の道を踏破した。帰るや否や直ぐ真綿を買込で大島へと出稼に行つた、島民の気質や生活状態等を調べずに始めたのは確かに早計であつた、暖国民の不規律な性格は商売上にまで遺憾なく表はれて居て物品の貸借等を何とも思はず自分の家を明放しにして四日も五日も他処へ遊に行く事等もあつて少しも真面目に仕事が出来ないのである、それやこれやで此事業も見事に失敗して終つた、然し氏は此紬製造の利益なることを意識したので如何かして廉い原料を使用する道はないかと考えた、丁度薩摩に士族授産館と云ふのがあつた、そこで薩摩絣大島紬等を製作して居るのでこゝから女工を雇つて郷里で製作する事にした、そこで先づ父君に相談をしたが今まで引続いての失敗に懲りた父君は絶対に反対した、ところが試験的に栽培した洋桃が多少成功の緒に就いて居たので父君と共に全力を此の栽培に傾注するように成つた、それが