ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
一日果樹栽培便覧を繙いて居ると、不図林檎の栽培の事が書いてあつた、予て利益の多いと云ふ事は聞いて居たが、今此書を見て、愈々有望なる事業なる事を確めたので、先づ小県郡の西内村の丁度三沢山峠の下の処に十町歩許りの土地を開墾して三千本からの苗木を植付けた、然し不幸此の土地は果樹の栽培には不適当であつたゝめ折角の苦心は水泡に帰して終つた、けれ共君は少しも失望せず年々歳々苦心に苦心をして栽培法を研究した。花は咲けども実はならず幾度やつても完全の実を得る事が出来ないで斯うして七八年の間一生懸命に研究を重ねた、運命の神は何処まで塩川家に災いするのだか、親子二人で全力を集注して経営して居る此農園は一日野火のため無惨にも悉く焼き尽くされて終つた、僅かの資産は永年の経営に全然り費ひ果して終つて今はもう木から落た猿同様哀れな状態となつた、親子は涙ながらに鍬を担で焼野を後に佐久の古巣へ帰つて「青年之友」の表紙(明治44年10月)来た、是れより先試験的に洋桃を一反歩ばかり栽培して居たが是れとて多少は前途に光明を認める事が出来ても此の場合如何ともする事は出来なかつたが、是が今日信州の名産佐久郡の富源とまでならうとは、神ならぬ身の知るよしもなかつた、事業に失敗して煩悶せる氏は如何かして損失を取り返し再び荒廃地の開墾をしようと種々苦心した結果台湾の開墾を思ひ立つたので父君に後事を託し、蹶然万里の波濤を越へて異郷へと出立した、豊かならぬ君の懐中には目的通り台湾まで渡る旅費にさへ差