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概要

塩川伊一郎評伝

六浅間山麓の一偉人川上岳城(明治四十四年十月十四日『青年之友』第十三号)浅問山麓の荒廃せる田園に人となつて、幾度か降灰の災厄に苦しめられて居た、数万の農民をして愁眉を開かしめた所の信州北佐久郡塩川伊一郎君の如きは、我が国農界の一大恩人と云つても敢えて過言ではあるまい。浅間の連山を以て囲まれた、山間の僻地に生れ、朝に夕に崇厳なる峻嶺を仰いで育つた塩川君は小学校を終へると直ぐ父祖伝来の業たる農業に従事して家業の補助をして居たが蛟龍何日まで池中のものではない、燃ゆるやうな青春の血は迸つて来て一日も鍬鋤を手にして働のが厭になつて来た、どうしても東京へ出て、勉強して家名を挙げなくてはならないと決心した、まだ浦若い十七の青年は遂に志を抱いて東京遊学の途に就いた、其頃本郷弓町に原要義塾と云ふ英漢数専門の私塾が在つた、塩川君は上京後直に此の塾へ入つて専心一意英語と数学とを研究した、然るに在学僅か一年にして郷里の事情は君の遊学を許さなくなつた。君は悲嘆の涙遣る方もなく幾度か故郷の空を眺めて身の不遇を恨んだ、愈々帰国すると云ふ時に君は芝三田の育種場で蔬菜便覧果樹栽培便覧等の書を購入して提へ帰つた。