ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
鳴くが如くに鳴るを以て、農作物の害鳥及鼬等を駆逐するに大効あり、此器の製造は独り冬期農家の最高副業たるのみならず、元と世を利し人を益せんと欲するの趣旨に則れるを以て、無料にて何人にも製造使用するを許し、教を請ふ者あれば懇篤に之が製法を授けつゝあり、此の他塩川式完全殺蛾燈同花形殺蛾燈、同第二完全殺虫器と称するものあり孰れも専売特許権を有し、之を苗代果樹園又は疏菜畑の害虫駆除に用ゐて偉大なる効を奏す、尚氏は果実の汁液に炭酸瓦斯を含有せしめ、香味馥郁たる飲料を製出して、生果多大の産額を処理し、毫も斯業発展の結果に累せざらしめんとす、其意を用ふることに常に此の如く、或は一台三四円を超えざる家庭精米器を造りて、農家の労力を減じ生活費を節せしめ高価なる砂糖に依らずして美味なる菓子の製法を教へ、頃者又各家庭日常の残物を以て、極めて簡易に極めて迅速に味噌醤油を醸造すべく考案を廻らし、殆ど成功に近づきつつありと聞く、此法にして成れるの暁、世を益すること蓋し大なるものあらん。氏は酒を解せず煙草を喫せず、日々鋤犁を肩にして雇人を率ゐ、果樹の間に耘りて以て自ら楽む、夫人末子(三五)は小県郡和村出澤章則氏の令妹にして、二男三女を挙げ、和気家庭に靄々たり、氏の次弟波三(三六)氏は家に在りて園芸の事に努め、末弟伊四郎(三〇)氏は外国語学校を出で、明治三十八年実業練習生として亞爾然丁に派遣せられ、今や伯刺西爾に在りて移民監督の職を執る。塩川家の将来は蓋し多望なり矣。鳴呼信州の地、南に片倉組ありて製糸界の王位を占め、東に塩川氏ありて園芸界の覇権を握る、斯の如くにして我邦の富源が此二三子に依って涵養せらるる事夫れ幾何ぞや功や録すべく、業や伝ふべし。