ブックタイトル塩川伊一郎評伝
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塩川伊一郎評伝
に帰れば、厳父頑然氏の企図を斥けて諾せず、遂に手金を損して此計画を中止し、氏が失敗の歴史は斯の如くにして其第二頁を閉じぬ。▲瘠土忽ち化す黄金の野是より先き、厳父は林檎栽培事業の蹉跌に屈せず、更に幾多の果樹に付て研究の結果、洋桃栽培の有望なるを認めたり、而も以前の失敗に鑑みて、之を小諸義塾主米国理学博士木村蓮峰氏に謀る、同氏は具さに米国に於る桃果栽培の実況を語り、浅間山下の地味が米国の其れに似たるを教ふ、厳父意茲に決し孜々経営の効空しからず、朞年ならざるに拳大の桃果は樹枝に実り、黄金の甘露は唇頭を潤すに至れり。外、雄志を伸ぶるに由なく、内、郷党に容れられず怏々として煩悶苦悩の境に在りたる伊一郎氏は、偶偶思ひを三才山麓の開墾時代に駛せ、故石塚重平氏夫人しん子より与へられたる訓誨の辞を想起せり、曰く、不毛の地を耕して能く一木一草を生ぜしむる者あらば、幵は政治家の事業に優ること万々なり』と、氏乃ち翻然として大に悟り、将来心を専にして園芸を業とし、此瘠土を化して美なる桃園たらしめんと誓ひ、爾来父を輔けて洋桃栽培に熱中し、研鑽考覈、苦を積み労を累ねて、数百種の洋桃中信州の風土に好適し、兼ねて収穫の多量なる四種類を選択せり、即ち朝日丸水蜜桃、浅間水蜜桃、上海水蜜桃、黄肉桃是れにして、氏は盛に是等の苗木を繁殖せしめ、希望者に無代配付して、或は培養の法を教へ、或は剪枝の術を説き、或は施肥の可否を述べ、以て其植栽を奨励したり、是に於てか斯業駸々