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概要

塩川伊一郎評伝

▲紬製織の計量水泡に帰す浅間の威霊に薫陶されたる信州人士は、堅忍不抜、進取邁往の気象に富み、一難を経る毎に勇気百倍す此時に当り日清の戦雲既に収まりて、台湾は我領土に帰せり、氏惟へらく台湾は猶小なる米国のごとし、功名富貴手に唾して取るべきなりと、明治廿九年同島に航して視察を遂ぐれば、何ぞ計らん台湾の開墾事業は予想外に発展し、生蕃地を除くの外復た鋤犂を下すべき未開の地あるを見ず、失望落膽、悄然として帰途に上り、琉球諸島を経て薩摩に赴きたるが此間氏は有望なる事業を発見せり、大島紬の製織は即ち是れ。抑も大島紬は原料を真綿に取り、僅々百匁の真綿は能く十金に値するの製品を出す。而して信州は此原料に富むに於て、農家の副業として絶好のものなりと心竊に画策する所あり、帰来真綿を買集めて之を大島に送り、傍ら紬製織の調査を遂げて、信州農民の副業を振興せんと欲し、再び彼地に航して真綿を売らんとせしに、資力の薄き島民は現金取引を為すの餘貲なく、製織の終るまで之を貸附るの餘儀なきに至れり。而も其期に及んで島民を訪へば、彼等の楽天的なる、何れにか居を転じて其地に在らず、為に真綿の代金を回収するに由なくして、前後二回の航行、唯冒険的小商売が失敗の話柄を残して止む、然れども紬製織に関する調査を遂ぐるを得て、之を郷地に試みんと志し、薩摩に於る女子授産学校及び士族授業学校と特約して、二人の女教師を雇入るべく手金を入れ、胸に前途の光明を懐きて勇躍家