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概要

塩川伊一郎評伝

「農業世界」の表紙(明治44年9月)家計を助く、氏生れて頴悟、夙に読書を好み、志を立てゝ家を起さんと欲し、父に請ふて小諸町なる中山義塾に入る、塾は旧小諸藩士の創設に係り、門生は悉く資産家の子弟に非ざるはなし、茲に於てか氏は常に塾生の冷罵嘲笑を蒙りたりと雖も、能く晏然として此間に処し、漢籍を修すること三星霜、更に笈を負ふて東都に上り、贄を本郷壹岐殿坂の原洋義塾に執りて、英語及数学を学ぶ、時に年甫めて十八、爾来螢雪錐股の苦を積んで業大に進みしに、旻天游子に幸せずして学資給せず、氏は素志を擲つて郷閭に父母を省するの巳むなきに至れり。其帝都を辞するに臨み、『舶来蔬菜果樹栽培便覧』と題する一書を購ひ、以て家君への土産となす、奚ぞ知らん此一小冊子、やがて氏をして今日の大成を齎さしむるの素因たらんとは、噫奇なる哉人の運命!▲花徒らに開て実結ばず由来氏の郷地たる北佐久郡三岡村は、此に接せる三四の村落と共に浅間の南麓に在りて、五穀讓らず蔬菜育せず、所謂不味不毛の焼石原と称せられる、之を拓き之を耕し、以て蚕業国の農家に副業を与へん