ブックタイトル塩川伊一郎評伝
- ページ
- 195/332
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている195ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 塩川伊一郎評伝 の電子ブックに掲載されている195ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
塩川伊一郎評伝
将来に於ける園芸王の希望是なり、氏の罐詰は近来東京京橋区西店西洋軒を経て、常に宮内省の御用を被るを始め、閑院宮殿下等よりも常に御用を仰せ付けらるるの光栄を有するに至り、一方東京に於ては岡山製と競争して之を凌駕し、新に大阪市東区安土町桑原伊太郎氏と特約を結びて、同氏方に関西代理店を開けり。されば関東代理店東京日本橋区西川岸国分勘兵衛氏及び発売元たる長野市石堂町信濃酒罐株式会社、北佐久郡小諸町小山徳三郎氏の手と新設の関西代理店の手に依って、其の販路全国に拡張せり。然も氏は之に満足せず、直輸出入商たる東京日本橋区木材木町植田商店佐藤勝治氏の手を経て米国に輸出せり。是氏が果樹の栽培は米国の如き粗大農業に適せず、換言すれば樹枝の剪定、果実の間摘及び採集、施肥、除草等総て機械力に依ること能ずして、何れも人力に待たざるべからざる此の種の園芸に在っては、米国の如く労働者の賃銭高価なる国には適せずとの論断よりして、外国製品を圧倒し、獨り其の輸入を防遏するのみならず、盛んに海外に向って輸出せんとの大希望より来れるものなり。されば米国のほかにも、清国上海・香港、浦塩、哈爾賓、大連、新嘉坡、布哇、英国等に向っても輸出しつゝあり、其の販売高未だ多からずと雖も、販売高の少額なるは畢竟罐詰製造高の多額ならざるに原因するを以て、果樹栽培に最も適当なる信州をして、一大果樹国たらしめ、尚近縣新潟其の他に向って発展し、是非とも生糸に亜ぐの一大産物たらしめて、海外に大飛躍を試みんとの計画中なりと言へり。其の希望や実に大、其の計画や真に壮なりと謂つべし。現に氏は独り佐久に於て園芸王たるのみならず、信州に於ての園芸王たる位置に進めり。今後果して其の目的を達するを得ば、独り信州に於て